昨日は
目黒教会でミサにあずかった後、目黒の町をブラブラ散歩しながら目黒区美術館で行われている
「‘文化’資源としての炭鉱」展に行って来ました。
以前、絵本作家の
長谷川集平さんが炭鉱画家の山本作兵衛と千田梅二を紹介されていたのを見て機会があればぜひ見てみたいと思っていたのでした。
あまりにものボリュームで少々ぐったりしてしまいましたが、見に行って良かった。凄かった。
山本作兵衛の炭鉱画は貴重な記録でもある。どの作品にもヤマ(炭鉱)での暮らし、仕事、道具などについて事細かく書き込みがされている。後期の水彩絵具で着色された作品はとても美しい。
恐らく筑豊で最初の炭鉱画家であろうと言われている井上為次郎という画家の絵も何とも不思議な魅力のある作品だった。
山本作兵衛、千田梅二ら炭鉱画家の作品、土門拳、中山陽といった写真家の作品のリアリズムを前にすれば、芸術家然とした吉増剛造らの作品はあまりにも薄っぺらいものに見えてしまった。
ではリアリズムが一番なのかと言うとそうだとは思わない。もしそうだとすればぼく自身の仕事はなんなのだ?ということになってしまう。
限りなくリアリズムに近づきたいと思いつつ、もっとその先を目指したところにぼくら音楽家や芸術家の仕事の意味があると思うのだ。
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