記事をほぼ書き終わったところで操作ミスしてしまって全部記事が消えてしまった……。
気を取り直して書き直します。
ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ(以下NLCR)初期のメンバーのトム・ペイリーが脱退後に結成した"Old Reliable String Band" (試聴:iTunes Storeへリンクします。以下同様)のレコードを手に入れました。
B面5曲目にメンバーのロイ・バークレーのギター弾き語りで「Lord Bateman」という歌が収録されています。
Young Beichanという別名でも知られるこの曲のルーツはスコットランドのバラッド。
ちなみにチャイルド・バラッドの53番です。
英国生まれの若きベイトマンは、船に乗りあちこちを旅してまわっていました。
ある日フランスの(アパラチア地方ではトルコ)王によって投獄されますが、王の娘(ソフィア、イザベルなど)に助けられ、ベイトマンは娘との結婚を約束し立ち去ります。
しかし、いつまでたってもベイトマンは戻って来ませんでした。
ベイトマンが別の女性と結婚することを聞いた娘は、彼の元へと旅立ちます。
そして…。
色んなバリエーションがありますが、大体の内容はこんな風。
現存する最古の録音は1908年オーストラリアのピアノ奏者で作曲家のパーシー・グレインジャーによって収録されました。
歌い手の異なるものが2つあるそうですがそのうちのひとつジョゼフ・テイラーが歌ったものは、コンピレーションCD「Hidden English」(試聴)で聴くことができます。
ノルウェーの作曲家グリーグの作曲法に影響されたパーシーは、エジソンの蝋管蓄音機を用いてイギリス各地の民謡を収集し、譜面に残しました。
その後もLord Batemanは歌い継がれ、英国のイワン・マッコールやA.L.ロイド、米国ではジーン・リッチーやポール・クレイトンなどによって録音されました。他にはニック・ジョーンズ(聴いてみたい!)やジューン・テイバーなども。
本来バラッドというものは口承伝承なので当たり前と言えば当たり前なのですが、ぼくが聴くことのできた幾つかのバージョンはそれぞれに歌詞もメロディも異なります。
ジョゼフ・テイラー、イワン・マッコール、ジーン・リッチーらのバージョンは無伴奏で民謡音階とでも言うべき独自の旋法を用いて歌われています。
パーシー・グレインジャーと同時代の研究家セシル・シャープがアパラチアで記録したある曲なんて21種類ものバリエーションが存在するらしい。
NLCRも1966年にリリースした "Remembrance of Things to Come"(試聴) というアルバムにLord Batemanを収録しています。
ライナーノーツによると、NLCRもロイ・バークレーも、国会図書館のため1943年2月12日にテネシー州ハロゲイトにてプリーズ(Pleaz)・モブレーというバラッド歌手によって録音されたものをソースとしているらしいのですが、NLCRバージョンはマイクのマンドリンとトレイシーのギター伴奏で歌われていてリズムも軽快で、ロイ・バークレーのギター弾き語りバージョンとはずいぶん印象が違います。
ケンタッキー州マンチェスター生まれのモブレーのバージョンはギターの弾き語りのようなのですが残念ながら音源を見つけることができなかった。
かつて国会図書館から発売されていたレコード "Anglo-American Songs & Ballads" (AFS L12)に収録されていて、オーダーすればCDが購入できるらしいのでどうにかして聴いてみたいところです。
と長々書いて来ましたが実はここまでは前フリ。
以下に続く……。
高田渡さんの「すかんぽ」という歌があります。
ぼくも二年前くらいから良く歌わせてもらっていますが、どうも渡さんロイ・バークレーが歌うのを参考にしたようなのです。
ギターのリズムも、歌のメロディのフレージングもドンズバでした。
「すかんぽ」の歌詞はドイツの詩人リンゲルナッツの手によるもので、植物のすかんぽを擬人化し、その人生に思いを馳せるといったような歌です。
何年前だったかな、この詩が現地ではどのように受け入れられているのか、渡さんがドイツを訪ねるというテレビ番組がありました。
リンゲルナッツの詩は今でも若者にも愛読されていて、「すかんぽ」にメロディをつけて歌うバンドも紹介されていました。
ただドイツでは植物に感情をもたせるなんていう発想は滑稽なことで、「すかんぽ」の詩はユーモアとして受け入れているのでした。
すかんぽの人生を哀れだと思い感傷的になってしまうのは日本人的な発想なのかも知れない。
その思いを歌にしてみたいと思うのが渡さんらしいのかな。
いずれにせよ元歌と渡さんが歌う「すかんぽ」に全く関連性はありません。
以前、長谷川集平さんは渡さんの歌についてこんな風に指摘していた。
渡さんはもとの歌の良さを日本語で伝えることを最初から放棄している。
結果的に、もと歌は素材に過ぎないような扱いに終わっている。
この集平さんの指摘にぼくも同意する。
いずれぼくなりの高田渡トリビュートを作りたいと思っていて、少しづつ資料を集めたりしながらその準備をしているのだけれど、渡さんのルーツを深く探ろうとすればするほど何度もそこにぶちあたってしまうことがあって残念に思う。
渡さんが拾い損ねていたものを丁寧に拾って行こうと思う。
そしていつかそれが形になればいいなと思っています。