2012年12月6日木曜日

チープ・チーパーズのこと 2



 チーパーズを解散した頃のぼくはもっとRockしたくなっていた。新バンドの結成を画策して、ちくわぶや若林マリ子のバックサポートをやっていたドラム、パーカッション奏者の熊谷太輔、るーずぱんてぃのドラマー柿沼朋音、ハニワニバイシクルのギター、ボーカル大沼道魚たちとセッションを重ねたが、結局は形にならないまま頓挫してしまった。

 ある日ふと箪笥の肥やしになっていたナショナルのリゾネーター・ギターを弾いてみた。これだ!と思った。今までのギターの弾き方ではうまくいかなかったので、最初からやり直す必要があった。でも決してこれを手放すもんかと必死に練習を重ねた。いつの間にかナショナルは、ぼくの身体の一部のようになっていた。これでやっとチーパーズを卒業することが出来たと思った。

 ちょうどその頃だ、京都から出てきた藤井貴子に出会った。彼女の音楽に対する真摯な姿勢に感銘を受けたぼくは一緒に演奏することにした。彼女との演奏は高田渡とやれなかったこと、やり残したことをやらせて貰ってるような気がしているんです。今のぼくにとって大切な活動のひとつ。こんな風につらつらと書き連ねていると、いつまで経っても話が終らないな……その3につづくのだけは避けなければ。

 今年の5月5日に、長年歌わせてもらっているお店、稲生座でライブがあった。最初はベースの松枝、アコーディオンのくみこ、そしてぼくの3人でやるつもりだったのだが、ハーモニカの浅見安二郎さん、ギターの杉原も飛び入り参加してくれて、新旧チーパーズのメンバーが揃ってしまった。楽しいライブだった。
 その日のうちに、杉原からまたやろうよと提案があったが、ぼくは乗り気ではなかった。チーパーズを解散してから、どれだけ苦労してここまでやって来たと思ってるんだという思いがあった。また何年か経ったらねとぼくは答えたのだった。

 でも、その子供の日のライブは杉原の心の何かを動かしたんだな。彼はひとりで会場を見つけ、6年ぶりとなるチープ・チーパーズのライブを決めてきちゃった。その熱意に絆されたぼくはOKしてしまったのですよ。何より杉原が動いてくれたことが嬉しかった。だってブッキングも集客もギャラの交渉も、いつもひとりぼっちでやって来たからね。
 8月26日、千歳烏山のTUBOにて、そのチープ・チーパーズ・リユニオン・ライブは行われた。リユニオン・メンバーにはドラムの朋音ちゃんが参加、ゲストで貴子さんも出演してくれた。そしてなんと今度は貴子さんの心の何かを動かしたんだな。彼女はチーパーズをバックに歌いたいと言い出した。

 ぼくにはチーパーズをキャラメル・ママやザ・ラストショウ、センチメンタル・シティ・ロマンスのように、ソロのシンガーのバックサポートやプロデュース的なことをやれるような集団にしたいという思いがあった。実際、浅見安二郎、きよみとくみこ、須藤もん、寺田町、三上ゆうへいといったシンガーのサポートを務めて来た。だから実はチーパーズにはそういった側面もあるのです。

 今までの貴子さんは、いくらぼくが他のメンバーを入れてみないかと提案しても拒否し続けていた。だから今回は良いチャンスだなと思って、これまたOKしてしまったのですよ。藤井貴子 with チープ・チーパーズ・ライブは下記の日程にて行われることになりました。


●2012年12月13日(木)高円寺・稲生座

 杉並区高円寺北2-38-16 サニーマンション2F

 tel/03-3336-4480

 start/20:00

 charge/¥1500 + drink order


 藤井貴子 with Cheap Cheapers
(あおやぎとしひろ(g., mandlin, bouzouki)、杉原穂高(g.)、松枝秀生(b)、くみこ(acc)、柿沼朋音(dr.))

 共演:秋元圭一




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 これにてチープ・チーパーズはしばらく見納め。ぼくはチーパーズを拠点にして欲しくないのですよ。それぞれの場所でみんながやって来た事を持ち帰る場所にして欲しい。杉やんが前に話してくれた、新しいバンドもまだ観てないしね。杉やんが歌う「歩いて歩いて」をぼくは聴きたいのです。


2012年12月5日水曜日

チープ・チーパーズのこと 1





 その前身はAOYAGI楽団というバンドだった。ぼくが初めて結成したバンド。
メンバーは、ぼくが弾き語りをやっていた頃からよく手伝ってもらっていたハーモニカの浅見安二郎、ベースは多摩美の学生だった鶴田伸介。現在の彼は建築家として活躍している。そしてアコーディオンのくみことぼくの4人。

 伸介が大学を卒業(したんだっけ?)することになってバンドから脱退。そこでシバのバックでベースを弾いていた松枝秀生に声をかけて新しくバンドを結成することにした。確か鈴木こうも誘ったんだったかな。彼はぼくのギター教室の生徒で、当時まだ高校生だった。

 バンド名は、コミック作家のロバート・クラムが仲間達と組んでいたバンド、チープ・スーツ・セレナーダーズにあやかってチープ・チーパーズと名付けた。結成時のメンバーは浅見、松枝、鈴木、くみこ、ぼくの5人。1991年暮れのことだった。
 高田渡のバックサポートとチーパーズの活動で結構忙しかったな。自分のバンドでは全く収入にならなかったから(今現在もだけれど…)渡さんの仕事は有り難かった。
 しばらくしてベースの松枝が失踪。鈴木が進学で脱退。この頃ぼくはひどい鬱状態に陥り一年間バンド活動を休んだ。
こうして書いてて思い出したんだけど、ぼくの鬱はここから始まったんだなあ。

 そんな頃、大阪で知り合った飯沼哲がアメリカへギター製作を習いに行くという。無性にぼくもアメリカへ行きたくなって冷凍食品工場でバイトをして金を貯め、半月間アメリカ南部の旅に出た。
 帰国後やっと吹っ切れたぼくは音楽活動を再開。ギター製作をやるなら、ライブ現場を経験した方がいいよと、
東京へ越してきた飯沼と一緒にあちこち旅をしたのはこの頃。

 その後のチーパーズは、町田のエスニック雑貨屋チチカカで知り合ったパーカッション奏者の熊谷真一、クールスのサックス奏者、佐藤尚之さんに手伝ってもらう予定だったのが予定が合わなくなってしまい急遽紹介してもらった広瀬正道、ぼくらのライブを観に来てくれてとても感動したと言ってメンバーに加わったピアノの清野真理子(後に彼女は飯沼と結婚することになる)、進学が決まった鈴木が復帰し、鈴木の音楽仲間でブルーズ好きのお坊さん、寺谷英樹もメンバーに加わった。こんな風に
入れ替わり立ち代わり、メンバーが変わる度にサウンドも大きく変化した。
 寺谷はバンバンバザールのメンバーと知り合いだそうで、吉祥寺でストリートをやっていたバンバンの噂はぼくも聞いていた。そこで紹介してもらってジョイント・ライブを企画した。
その頃、
バンバンのボーカル、福島康之は、ジャイブやジャグ・バンドの枠で括られるのに嫌気がさしていたようで、解散を考えていたらしい。ベースの南一夫にこれからどうするの?と聞くと特に決まっていないと言うのでチーパーズに参加してもらうことにした。
 南が加わったことで、ジャグ・バンドや古いストリングス・バンドのようなサウンドが演れるようになり、ここで
チープ・スーツ・セレナーダーズのカバーを演奏して初心を果たす事ができたのでした。
そして数ヶ月が経ち、やっとバンドらしくなってきたなと思っていたら、バンバン再稼働ということになり、南はバンバンに復帰。同じ頃、寺谷脱退。鈴木はフランスへ留学。

 ある日、電車に乗っていた時だった。電車がどこかの駅に停車して、どこの駅だろうかと窓の外に目をやると、そこには失踪したはずのベーシスト松枝がいた。また一緒にやろうよと声をかけて松枝が復帰することになった。
 それからバンバンのギター奏者の杉原穂高がバンドを抜けるというので、良かったらうちでやらない?と誘って杉原もチーパーズへ。バンバンの初代メンバーのピアノ奏者、花野誉子も参加してくれた。
しばらくして、
クレンショークラブ・バンドというジャンプ・ブルースを演奏するバンドでドラムを叩いていた服部恒郎が加入。服部さんのお陰でやっとチーパーズは一人前のバンドになれたと今でも感謝している。一番充実していた時代。

 花野、服部が脱退。しばらく松枝、杉原、くみこ、あおやぎ、4人での活動が続く。しかし、杉原の仕事が忙しくなり、杉原不参加のライブが増えていった。杉原がいないのだからチーパーズと名乗るのは辞めようと「ブースカーズ」「青柳精肉店」など変名のライブ活動を続けた。

 2005年10月、杉原脱退。ぼくはチーパーズの活動を休止することにした。

 2006年に入って、せめて音だけでも残しておきたいという思いからチーパーズのレコーディングを始める。

 9月、ミニアルバム「Walkin' Walkin'」をリリース。
 11月、高円寺の稲生座、谷保のかけこみ亭にて発売記念ライブ。

 かけこみ亭でのライブを最後にチーパーズ解散。ライブ終演後、ぼくはメンバーの誰とも挨拶をしないまま別れた。(つづく)


 写真はCD「Walkin' Walkin'」ジャケットの別バージョン。