2014年5月30日金曜日

湯上がりポカポカ気分

 久しぶりの旅でした。そろそろやりますなんて言いながら、もう5年も経っていた。その間のぼくは、ある女性シンガーのサポートをやっていて、そちらがメインの活動になっていた。学ばなければいけないことが膨大にあって、自分の活動は置いてけぼりになった。



 昨年は散々な一年で、全てのことが、おじゃんになってしまった。こんなことをやっていてはダメになってしまうと、全てのことを清算することにした。女性シンガーのサポートも辞めた。そうすると不思議なことに、とたんに風通しが良くなった。新しい仲間もどんどん増えていった。そんな新しい出会いが切っ掛けで、今回の旅が決まっていった。



 5年もやっていないのだから新人みたいなもんだ。旅に出る前はとても不安な気持ちでいた。初めてのお店もあったし、特に9年ぶりに決まった一乗寺の「のん」にはどんな顔をして行けばいいのだろうとドキドキしていた。
喉の調子も悪かった。もう何年も治らない喉が、この春は絶不調で咳が止まらない。最後まで持つんだろうかと心配だった。



 でも始まってしまえば、何の心配もいらなかった。どこの会場もお客さんの熱気が感じられ、こちらのテンションもどんどん上がっていく。あんな気持ちになったのは久しぶりだ。溜まりに溜まった垢を根こそぎ剥がし落とすような気分だった。毎日がまるで湯上がりのような心地よさ。ポカポカしてた。ツアー中どんどん元気になっていくのが分かった。



 本当にドキドキしながら「のん」のドアを開けると9年前と何も変わらない温かな笑顔で迎えてくれるお父さんとお母さんの姿があった、嬉しかった。
 あれは何年前になるんだろうか、この店で一人の男と出会った。その名は三上ゆうへい。彼はその頃、京都を中心に関西で歌い始めていた。ぼくは彼のことをいっぺんに気に入って、応援したくなったのだった。
 それからというもの、彼をひっぱり回してあちこちへ一緒に旅をした。京都、東京を往復して彼の歌を録音した。そして一枚のCDが完成した。ぼくと同じように三上ゆうへいを応援していた、ひがしのひとしさんからは「ほんまにありがとう」と熱い接吻をいただいた。あの夜、ひがしのさん、ゆうへい、ぼくの3人は、のんの近所にあった居酒屋で何時間も何時間も熱く語り合ったのだった。ゆうへいは「くやしい…」と言って泣いた。ぼくは、あぁ…良かったなあと思ったのだが、そうではなかった。彼とはそれっきりになった。
その後の彼は病に倒れ、闘病生活を続け、2011年5月1日に白血病で亡くなった。最後の最後まで和解する事はできなかった。



 昨年の秋頃、くみこの大学の後輩で、現在は京都で農業をやっている林努さんから「最近、三上ゆうへい君の『踊り子』を歌っています。いつか一緒に演奏したいです」とCDが送られてきた。ぼくにとっては痛い思い出の歌だ。それで事情を知らない努さんに、ゆうへいとのことを伝えた。
この歌と再び向かい合うにはしばらく時間が必要だった。そしてしばらく経ったある日、よければ「のん」で一緒にライブをやりませんかと努さんに伝えたのでした。この歌をやるなら他の場所は考えられなかった。



 ライブ当日になっても、正直「踊り子」を演奏したい気持ちになれなかった。でもやりましょうと言ったのは自分だ、後戻りはできないと、ライブの最後にこの曲を演奏することにした。ぼくは目をつぶり、努さんの三線の音だけに集中してギターを弾いた。ぼくらにしか演奏できない「踊り子」になった。やっと、ゆうへいとお別れできたような気がした。



 4日間の旅を終え、昨夜東京へと戻ってきた。お世話になったみなさんへ挨拶をとパソコンを立ち上げると、ひがしのひとしさんの訃報の知らせ。
ひがしのさん、ゆうへいくんをよろしくお願いします!渡さんにもよろしく!