2009年11月29日日曜日
待降節
待降節が始まりました。今日から四週間のあいだキリストの降誕を待ち望みます。
そして今日はジョージ・ハリスンが亡くなった日。ぼくは今朝の一曲目に"Here Comes The Sun"を聴きました。
長谷川集平さんのブラックボックスのページ、絵本『あしたは月よう日』について書かれた記事を読む。
テレビに映る歌手の歌に感動して家族が涙を流す場面。音楽を聴いて家族が泣くなんてリアリティがない、描き直せと編集者から言われたそうだ。
ぼくはこの初めてこの絵本を見たとき、この家族たちと一緒に泣いたのだ。音楽を聴いても、映画を観ても(泣ける映画だとかそんな陳腐な話じゃないよ)泣かない人もいるんだな。
2009年11月24日火曜日
2009年11月23日月曜日
「‘文化’資源としての炭鉱」展
昨日は目黒教会でミサにあずかった後、目黒の町をブラブラ散歩しながら目黒区美術館で行われている「‘文化’資源としての炭鉱」展に行って来ました。
以前、絵本作家の長谷川集平さんが炭鉱画家の山本作兵衛と千田梅二を紹介されていたのを見て機会があればぜひ見てみたいと思っていたのでした。
あまりにものボリュームで少々ぐったりしてしまいましたが、見に行って良かった。凄かった。
山本作兵衛の炭鉱画は貴重な記録でもある。どの作品にもヤマ(炭鉱)での暮らし、仕事、道具などについて事細かく書き込みがされている。後期の水彩絵具で着色された作品はとても美しい。
恐らく筑豊で最初の炭鉱画家であろうと言われている井上為次郎という画家の絵も何とも不思議な魅力のある作品だった。
山本作兵衛、千田梅二ら炭鉱画家の作品、土門拳、中山陽といった写真家の作品のリアリズムを前にすれば、芸術家然とした吉増剛造らの作品はあまりにも薄っぺらいものに見えてしまった。
ではリアリズムが一番なのかと言うとそうだとは思わない。もしそうだとすればぼく自身の仕事はなんなのだ?ということになってしまう。
限りなくリアリズムに近づきたいと思いつつ、もっとその先を目指したところにぼくら音楽家や芸術家の仕事の意味があると思うのだ。
ジェフ・ラングの新作『キメラドゥール』
2009年11月12日木曜日
未だ興奮覚めやらぬ!
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