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2014年5月30日金曜日

湯上がりポカポカ気分

 久しぶりの旅でした。そろそろやりますなんて言いながら、もう5年も経っていた。その間のぼくは、ある女性シンガーのサポートをやっていて、そちらがメインの活動になっていた。学ばなければいけないことが膨大にあって、自分の活動は置いてけぼりになった。



 昨年は散々な一年で、全てのことが、おじゃんになってしまった。こんなことをやっていてはダメになってしまうと、全てのことを清算することにした。女性シンガーのサポートも辞めた。そうすると不思議なことに、とたんに風通しが良くなった。新しい仲間もどんどん増えていった。そんな新しい出会いが切っ掛けで、今回の旅が決まっていった。



 5年もやっていないのだから新人みたいなもんだ。旅に出る前はとても不安な気持ちでいた。初めてのお店もあったし、特に9年ぶりに決まった一乗寺の「のん」にはどんな顔をして行けばいいのだろうとドキドキしていた。
喉の調子も悪かった。もう何年も治らない喉が、この春は絶不調で咳が止まらない。最後まで持つんだろうかと心配だった。



 でも始まってしまえば、何の心配もいらなかった。どこの会場もお客さんの熱気が感じられ、こちらのテンションもどんどん上がっていく。あんな気持ちになったのは久しぶりだ。溜まりに溜まった垢を根こそぎ剥がし落とすような気分だった。毎日がまるで湯上がりのような心地よさ。ポカポカしてた。ツアー中どんどん元気になっていくのが分かった。



 本当にドキドキしながら「のん」のドアを開けると9年前と何も変わらない温かな笑顔で迎えてくれるお父さんとお母さんの姿があった、嬉しかった。
 あれは何年前になるんだろうか、この店で一人の男と出会った。その名は三上ゆうへい。彼はその頃、京都を中心に関西で歌い始めていた。ぼくは彼のことをいっぺんに気に入って、応援したくなったのだった。
 それからというもの、彼をひっぱり回してあちこちへ一緒に旅をした。京都、東京を往復して彼の歌を録音した。そして一枚のCDが完成した。ぼくと同じように三上ゆうへいを応援していた、ひがしのひとしさんからは「ほんまにありがとう」と熱い接吻をいただいた。あの夜、ひがしのさん、ゆうへい、ぼくの3人は、のんの近所にあった居酒屋で何時間も何時間も熱く語り合ったのだった。ゆうへいは「くやしい…」と言って泣いた。ぼくは、あぁ…良かったなあと思ったのだが、そうではなかった。彼とはそれっきりになった。
その後の彼は病に倒れ、闘病生活を続け、2011年5月1日に白血病で亡くなった。最後の最後まで和解する事はできなかった。



 昨年の秋頃、くみこの大学の後輩で、現在は京都で農業をやっている林努さんから「最近、三上ゆうへい君の『踊り子』を歌っています。いつか一緒に演奏したいです」とCDが送られてきた。ぼくにとっては痛い思い出の歌だ。それで事情を知らない努さんに、ゆうへいとのことを伝えた。
この歌と再び向かい合うにはしばらく時間が必要だった。そしてしばらく経ったある日、よければ「のん」で一緒にライブをやりませんかと努さんに伝えたのでした。この歌をやるなら他の場所は考えられなかった。



 ライブ当日になっても、正直「踊り子」を演奏したい気持ちになれなかった。でもやりましょうと言ったのは自分だ、後戻りはできないと、ライブの最後にこの曲を演奏することにした。ぼくは目をつぶり、努さんの三線の音だけに集中してギターを弾いた。ぼくらにしか演奏できない「踊り子」になった。やっと、ゆうへいとお別れできたような気がした。



 4日間の旅を終え、昨夜東京へと戻ってきた。お世話になったみなさんへ挨拶をとパソコンを立ち上げると、ひがしのひとしさんの訃報の知らせ。
ひがしのさん、ゆうへいくんをよろしくお願いします!渡さんにもよろしく!



2012年12月6日木曜日

チープ・チーパーズのこと 2



 チーパーズを解散した頃のぼくはもっとRockしたくなっていた。新バンドの結成を画策して、ちくわぶや若林マリ子のバックサポートをやっていたドラム、パーカッション奏者の熊谷太輔、るーずぱんてぃのドラマー柿沼朋音、ハニワニバイシクルのギター、ボーカル大沼道魚たちとセッションを重ねたが、結局は形にならないまま頓挫してしまった。

 ある日ふと箪笥の肥やしになっていたナショナルのリゾネーター・ギターを弾いてみた。これだ!と思った。今までのギターの弾き方ではうまくいかなかったので、最初からやり直す必要があった。でも決してこれを手放すもんかと必死に練習を重ねた。いつの間にかナショナルは、ぼくの身体の一部のようになっていた。これでやっとチーパーズを卒業することが出来たと思った。

 ちょうどその頃だ、京都から出てきた藤井貴子に出会った。彼女の音楽に対する真摯な姿勢に感銘を受けたぼくは一緒に演奏することにした。彼女との演奏は高田渡とやれなかったこと、やり残したことをやらせて貰ってるような気がしているんです。今のぼくにとって大切な活動のひとつ。こんな風につらつらと書き連ねていると、いつまで経っても話が終らないな……その3につづくのだけは避けなければ。

 今年の5月5日に、長年歌わせてもらっているお店、稲生座でライブがあった。最初はベースの松枝、アコーディオンのくみこ、そしてぼくの3人でやるつもりだったのだが、ハーモニカの浅見安二郎さん、ギターの杉原も飛び入り参加してくれて、新旧チーパーズのメンバーが揃ってしまった。楽しいライブだった。
 その日のうちに、杉原からまたやろうよと提案があったが、ぼくは乗り気ではなかった。チーパーズを解散してから、どれだけ苦労してここまでやって来たと思ってるんだという思いがあった。また何年か経ったらねとぼくは答えたのだった。

 でも、その子供の日のライブは杉原の心の何かを動かしたんだな。彼はひとりで会場を見つけ、6年ぶりとなるチープ・チーパーズのライブを決めてきちゃった。その熱意に絆されたぼくはOKしてしまったのですよ。何より杉原が動いてくれたことが嬉しかった。だってブッキングも集客もギャラの交渉も、いつもひとりぼっちでやって来たからね。
 8月26日、千歳烏山のTUBOにて、そのチープ・チーパーズ・リユニオン・ライブは行われた。リユニオン・メンバーにはドラムの朋音ちゃんが参加、ゲストで貴子さんも出演してくれた。そしてなんと今度は貴子さんの心の何かを動かしたんだな。彼女はチーパーズをバックに歌いたいと言い出した。

 ぼくにはチーパーズをキャラメル・ママやザ・ラストショウ、センチメンタル・シティ・ロマンスのように、ソロのシンガーのバックサポートやプロデュース的なことをやれるような集団にしたいという思いがあった。実際、浅見安二郎、きよみとくみこ、須藤もん、寺田町、三上ゆうへいといったシンガーのサポートを務めて来た。だから実はチーパーズにはそういった側面もあるのです。

 今までの貴子さんは、いくらぼくが他のメンバーを入れてみないかと提案しても拒否し続けていた。だから今回は良いチャンスだなと思って、これまたOKしてしまったのですよ。藤井貴子 with チープ・チーパーズ・ライブは下記の日程にて行われることになりました。


●2012年12月13日(木)高円寺・稲生座

 杉並区高円寺北2-38-16 サニーマンション2F

 tel/03-3336-4480

 start/20:00

 charge/¥1500 + drink order


 藤井貴子 with Cheap Cheapers
(あおやぎとしひろ(g., mandlin, bouzouki)、杉原穂高(g.)、松枝秀生(b)、くみこ(acc)、柿沼朋音(dr.))

 共演:秋元圭一




大きな地図で見る


 これにてチープ・チーパーズはしばらく見納め。ぼくはチーパーズを拠点にして欲しくないのですよ。それぞれの場所でみんながやって来た事を持ち帰る場所にして欲しい。杉やんが前に話してくれた、新しいバンドもまだ観てないしね。杉やんが歌う「歩いて歩いて」をぼくは聴きたいのです。


2012年12月5日水曜日

チープ・チーパーズのこと 1





 その前身はAOYAGI楽団というバンドだった。ぼくが初めて結成したバンド。
メンバーは、ぼくが弾き語りをやっていた頃からよく手伝ってもらっていたハーモニカの浅見安二郎、ベースは多摩美の学生だった鶴田伸介。現在の彼は建築家として活躍している。そしてアコーディオンのくみことぼくの4人。

 伸介が大学を卒業(したんだっけ?)することになってバンドから脱退。そこでシバのバックでベースを弾いていた松枝秀生に声をかけて新しくバンドを結成することにした。確か鈴木こうも誘ったんだったかな。彼はぼくのギター教室の生徒で、当時まだ高校生だった。

 バンド名は、コミック作家のロバート・クラムが仲間達と組んでいたバンド、チープ・スーツ・セレナーダーズにあやかってチープ・チーパーズと名付けた。結成時のメンバーは浅見、松枝、鈴木、くみこ、ぼくの5人。1991年暮れのことだった。
 高田渡のバックサポートとチーパーズの活動で結構忙しかったな。自分のバンドでは全く収入にならなかったから(今現在もだけれど…)渡さんの仕事は有り難かった。
 しばらくしてベースの松枝が失踪。鈴木が進学で脱退。この頃ぼくはひどい鬱状態に陥り一年間バンド活動を休んだ。
こうして書いてて思い出したんだけど、ぼくの鬱はここから始まったんだなあ。

 そんな頃、大阪で知り合った飯沼哲がアメリカへギター製作を習いに行くという。無性にぼくもアメリカへ行きたくなって冷凍食品工場でバイトをして金を貯め、半月間アメリカ南部の旅に出た。
 帰国後やっと吹っ切れたぼくは音楽活動を再開。ギター製作をやるなら、ライブ現場を経験した方がいいよと、
東京へ越してきた飯沼と一緒にあちこち旅をしたのはこの頃。

 その後のチーパーズは、町田のエスニック雑貨屋チチカカで知り合ったパーカッション奏者の熊谷真一、クールスのサックス奏者、佐藤尚之さんに手伝ってもらう予定だったのが予定が合わなくなってしまい急遽紹介してもらった広瀬正道、ぼくらのライブを観に来てくれてとても感動したと言ってメンバーに加わったピアノの清野真理子(後に彼女は飯沼と結婚することになる)、進学が決まった鈴木が復帰し、鈴木の音楽仲間でブルーズ好きのお坊さん、寺谷英樹もメンバーに加わった。こんな風に
入れ替わり立ち代わり、メンバーが変わる度にサウンドも大きく変化した。
 寺谷はバンバンバザールのメンバーと知り合いだそうで、吉祥寺でストリートをやっていたバンバンの噂はぼくも聞いていた。そこで紹介してもらってジョイント・ライブを企画した。
その頃、
バンバンのボーカル、福島康之は、ジャイブやジャグ・バンドの枠で括られるのに嫌気がさしていたようで、解散を考えていたらしい。ベースの南一夫にこれからどうするの?と聞くと特に決まっていないと言うのでチーパーズに参加してもらうことにした。
 南が加わったことで、ジャグ・バンドや古いストリングス・バンドのようなサウンドが演れるようになり、ここで
チープ・スーツ・セレナーダーズのカバーを演奏して初心を果たす事ができたのでした。
そして数ヶ月が経ち、やっとバンドらしくなってきたなと思っていたら、バンバン再稼働ということになり、南はバンバンに復帰。同じ頃、寺谷脱退。鈴木はフランスへ留学。

 ある日、電車に乗っていた時だった。電車がどこかの駅に停車して、どこの駅だろうかと窓の外に目をやると、そこには失踪したはずのベーシスト松枝がいた。また一緒にやろうよと声をかけて松枝が復帰することになった。
 それからバンバンのギター奏者の杉原穂高がバンドを抜けるというので、良かったらうちでやらない?と誘って杉原もチーパーズへ。バンバンの初代メンバーのピアノ奏者、花野誉子も参加してくれた。
しばらくして、
クレンショークラブ・バンドというジャンプ・ブルースを演奏するバンドでドラムを叩いていた服部恒郎が加入。服部さんのお陰でやっとチーパーズは一人前のバンドになれたと今でも感謝している。一番充実していた時代。

 花野、服部が脱退。しばらく松枝、杉原、くみこ、あおやぎ、4人での活動が続く。しかし、杉原の仕事が忙しくなり、杉原不参加のライブが増えていった。杉原がいないのだからチーパーズと名乗るのは辞めようと「ブースカーズ」「青柳精肉店」など変名のライブ活動を続けた。

 2005年10月、杉原脱退。ぼくはチーパーズの活動を休止することにした。

 2006年に入って、せめて音だけでも残しておきたいという思いからチーパーズのレコーディングを始める。

 9月、ミニアルバム「Walkin' Walkin'」をリリース。
 11月、高円寺の稲生座、谷保のかけこみ亭にて発売記念ライブ。

 かけこみ亭でのライブを最後にチーパーズ解散。ライブ終演後、ぼくはメンバーの誰とも挨拶をしないまま別れた。(つづく)


 写真はCD「Walkin' Walkin'」ジャケットの別バージョン。


2012年10月26日金曜日

R.I.P. Hick





               Ramblin' Brownie Hick
             June, 1996 - October 15, 2012

 折々の出来事はTwitterやFacebookでお知らせしているので、ついついブログがご無沙汰になってしまった。チーパーズのライブのことや、バースデイ・ライブのことなど、少しづつ書いて行こうと思う。

 今月15日の朝、我が家の愛猫ヒックが死んだ。16歳、人間の年齢なら80歳になるらしい。
 家にやってきた日のこと、亡くなる日までのこと、その朝のこと…さっきから書いては消して、書いては消してを繰り返して、結局なにも書けない。

 ヒックが最後に小さな息をして逝ってしまったあと、目を閉じさせて、いつも寝ているような姿に手足を曲げてやった。
 お昼頃、ペットの葬儀屋に来てもらって火葬をお願いした。亡骸のそばに動物達の守護聖人、聖フランチェスコのご絵を置いた。

 その日の夜は英国のシンガー・ソングライター、ジョン・スミスの来日公演に行く予定になっていた。
二年前にプロモーションで来日したときにも演奏を聴きに行っていて、再来日を楽しみにしていたのだ。
 ジョンのライブとても良かった。改めて音楽って良いもんだなという気持ちを思い出させてくれた。


 写真はヒックが我が家にやって来た頃。


2012年1月26日木曜日

雪の吉祥寺



 月曜日のMANDA-LA2ライブへお越し下さったみなさまありがとうございました。
出番が終わって外に出てみたら雪が積もっていました。
 こんなに美しい雪も放射能に汚染されているのだなあと思うと、何とも腹立たしい気持ちになってしまった。降ってくる雪は大丈夫だと書いてあるのを見たけれど本当なのかな?

 MANDA-LA2は今年で25周年なのだそうだ。ぼくは高田渡さんのバックサポートや、長谷川集平さんのライブにゲストで呼んで頂いたり、オープン当時から出演させてもらっています。
思い返してみれば恥ずかしいことばかりですが、25年かあ…と思うと感慨深いものがありますね。
当時のことはいつかまたゆっくり書いてみたいと思ってます。

 最近、貴子さんとのライブのときには、RODEのコンデンサーマイク NT3を持参しています。
 リゾネーターギターの場合、Fホール、リゾネーター、テイルピース等、場所によってサウンドが全然異なってくるので、ピンポイントでマイクセッティングされてもダメなんです。
 殆どのライブハウスで使用されているのはSHUREのダイナミック・マイクのSM58か57です。最近ではBETAを置いてるお店もあります。57ならまだ良いのですが、58やBETAをセッティングされた時は最悪です。ぼくの印象だと、58はやはりボーカルマイクだし、BETAは指向性が狭いのでリゾネーター・ギターには合わないと思う。

 リゾネーター・ギター奏者のボブ・ブロズマンがステージでもコンデンサー・マイクを使っていると書いていたのを思い出して、昨年10月のDRESS AKIBA HALLの時に試してみたらとても良かった。PAの下田さんにも「このマイク良いですよ!」と太鼓判を押してもらったので安心して使うことができます。MANDA-LA2の時もとても良い感じで演奏することができました。

 ブロズマンやデヴィッド・グリスマンはNeumannのKM84をステージで使っているそうなのですが、あんな高価なマイク、もし持ってても怖くてステージで使おうなんて思わないですね。その点RODEなら比較的安価ですから試しに使ってみるのにもお薦めです。


2012年1月8日日曜日

ハッピーニューイヤーブルース

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
しかし、明けたとは言うものの、今年も一筋縄では行かぬ年になりそうですな。何より福島原発4号機が心配だ…この国はどこへ向かおうとしているのだろう。



昨年一年はまるで失語症になったようだった、正直どうしたらいいのかさっぱり分からなかった。そんなぼくにとって、日本のカトリック司教団が出した原発全面廃止の声明は大きな励みになりました。





2011年はあまり音楽を聴く気持ちになれなかった。そんな中でも良く聴いたのは、ギリアン・ウェルチの8年ぶりの新譜「The Harrow & The Harvest」。彼女の歌はどんどん研ぎすまされていくなあ。藤井貴子さんに教えて貰ったジューン・テイバーの「Ashore」
も同じ印象だ。
近年とても精力的なライ・クーダーの新作「Pull Up Some Dust and Sit Down」
も素晴らしかった。ジョン・リー・フッカーを大統領にと歌うライのなりきりぶりには驚かされた。
中川五郎さんに教えていただいたザ・ロー・アンセムの「Smart Flesh」
は何度も聴きました。祈りのような歌。いま一番ライブを観てみたいバンドです。

長谷川集平さんの新作絵本『小さなよっつの雪だるま』がとても素敵でした。
映画は一本も観ませんでした。



2011年12月18日日曜日

Christ stollen



 水曜日の稲生座、金曜日のDRESS AKIBA HALLへお越しいただいたみなさまありがとうございました。どちらも年末らしい良いライブだったと思います。
ぼくのライブも藤井のライブも今年はこれでお終いです。
色々あった一年でしたが応援ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

 昨年のクリスマスにはブッシュ・ド・ノエルを焼いたのですが、さて今年は何を作ろうかなと考えてシュトレンを焼いてみました。日本ではシュトーレンという呼び名が一般的ですが、正しい発音はシュトレンだそうです。
実は一度もシュトレンというものを食べたことがありません。意識して見たこともなかった。
 だからぼくが作ったシュトレンが正しいものなのかどうか分かりません。お手本にしたのはデパートの食品売り場で見たシュトレンだけ…でも美味しかったので良しとしよう!

 シュトレンは待降節の間に少しづつ切り分けて食べるのだと聞きましたが、本場のドイツでも25日のブランチになってからようやく食卓に並ぶという記事も見たので特に決まりはなさそう。
 ドイツでの正式名称はクリスト・シュトレン、幼子イエスのおくるみ姿を表しているのだそうですよ。


2011年12月11日日曜日

ひさしぶりに



 ひさしぶりにシフォンケーキを焼きました。リンゴのシフォンです。生地にはメープルシロップが混ぜ込んであります。

 藤井貴子さんが友人で信州在住のイラストレーター田阪リカさんから送っていただいたリンゴをお裾分けで貰いました。
たいへん美味しゅうございました!

待降節です。待ち望む季節。


2011年9月27日火曜日

MP3のビットレート

SoundCloudにアップした音質が気に入らないので、何とかならないかと色々と試してみましたが、結局はだめでした。
アップの際に変換されるのが良くないのではないかと思い、予めMP3にするとどうだろうかとやってみたのですが128kbpsのビットレート変換だとやはりブズーキの音にシュワシュワノイズがついてしまうのです。
MP3用にマスタリングをやり直してみてもだめ…。
ところがビットレートをほんの少し131kbpsまで上げてやるとシュワシュワノイズはほとんど消えてしまいます。
かつては音質劣化しないビットレートはどれくらいだろうなんて実験をよくやったものですが、最近はもっぱらロスレス圧縮しか使いませんので、MP3のことはすっかり忘れていました。



SoundCloudにアップされている他の人の音源を聴いてみるとシュワシュワノイズはないし、試しに他のファイルをアップしてみるとシュワシュワノイズは乗らない。どうやら「おもいで」の音源自体に問題があるようなのです。
録音時のミックス具合でそうなってしまうのだろうか、しかし2チャンネル一発録りの為、今更編集もできない。
元の音源はとても良い感じに仕上がっているので残念…。



2011年9月21日水曜日

ぼくらの原始力展

東中野のポレポレ坐で行われている「ぼくらの原始力展」へ行って来た。
会場ではスズキコージさんが壁画を製作中。黒田征太郎さんと長谷川集平さんの作品に魅かれる。

 作品の購入はできないので、せめてもの思いに缶バッジを購入。帰りに新宿ベルクでドッグとギネスをハーフパイント。


2011年9月5日月曜日

ISODAのケーブル

ISODAのインターコネクトケーブルを長年愛用している。
知る人ぞ知る、礒田行智さんが製作していたケーブル、日本国内よりもヨーロッパで人気があった。
1999年に一旦営業を辞めてしまったらしいのだが、2008年に再開したみたい。
ぼくの愛用していたのは営業停止前の製品だ。





ライ・クーダーの新譜が届いたので聴いているとやたらとブチブチとノイズが入る。
おかしいなあとプラグを抜き差ししているうちに全く音が出なくなってしまった。プラグを外してみると完全に断線してしまっている。
まあハンダづけしてしまえば良いことなのだが、磯田さんがこだわりにこだわってつくられていたケーブルを素人のぼくがいじってしまって良いものかと考えると手をつけることが出来ない。

仕方ないのでBELDENの切り売りを購入してインターコネクトケーブルをつくってみたのだけれど、やっぱり何だか違うんだよなあ。
いやあ困った…。




2011年8月2日火曜日

今年のニューポート・フォーク・フェスティバル

風邪もすっかり治りました。今日は比較的涼しい一日だったので、窓を開け放って今年のニューポート・フォーク・フェスティバルのストリーミング放送を聴いて過ごしました。ギリアン・ウェルチのステージ最高!



アメリカの公共ラジオ局「NPR」は毎年のようにニューポート・フォーク・フェスティバルの模様を放送を流してくれています。
NPRのオフィスで収録が行われるTiny Desk Concertは、時々びっくりするような大物ゲストが出演するので目が離せません。
iTunesのポッドキャストに登録して楽しんでいます。



ジャック・エリオットのステージでサイドボーカルとバンジョーを演奏しているのは誰なんだろう?と思っていたらピート・シーガーだった。声と演奏を聴いてとてもショックだった。
ピートさんは1919年生まれ、92歳。



2011年7月22日金曜日

熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ

友部正人さんの歌で「熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ」というのがあったな。
明日のライブは熱いのをやりますよ。
ぼくはそれを待っていたんだよ。
みなさん来てね。



2011年7月7日木曜日

一期一会

長年お世話になっている高円寺のライブハウス稲生座には何人かの名物男達がいて出演者やお店のお客からとても愛されていた。
そのなかの一人、時計は今年の一月に逝ってしまった。葬儀は行われなかったけれど、お別れには多くのミュージシャンや仲間達が集まった。

もう一人の名物男ジャージも先日逝ってしまったそうだ。
時計もジャージも稲生座のあの薄暗い廊下で良く語り合ったものです。話すことと言えばどうでも良い話ばかりだったけれど。



時計とのお別れのとき、ジャージとぼくの間に座ってニコニコしていたのがフラワートラベリングバンドや夕焼け楽団のジャケットでも知られる画家の石丸忍さんだった。
以前ブログにも書いたが、ライブのリハーサル中にふらふらっとお店の中に入って来て文句をつけたのが忍さんだった。
ぼくがリゾネーターギターにディストーションやループマシンなんかを使っていると「生でやればいいじゃん」と忍さんは言う。ぼくはムッとして忍さんと大口論になった。
その後、忍さんは連れ合いにひっぱられて連れて行かれてしまったけれど、ライブ前にそんなことがあったぼくにとってはかなわんことでした。
そんな忍さんも今月の3日に逝ってしまった。



2011年6月20日月曜日

23日は稲生座ライブです



 明明後日のライブに向けてのリハーサル。ドラムの朋音ちゃんは不参加でしたが、久しぶりにみんなで音を出すとやはり楽しい。


 8ヶ月ぶりのライブです、稲生座では三年ぶり。沢山のご来場をお待ちしております。

詳細はコチラ



2011年5月29日日曜日

リベンジ



 水曜日のRAMLAへお越し下さったみなさまありがとうございました。

 何となく自粛ムードの漂う会場の雰囲気の中、リベンジだと思っていたのは、ぼくだけではなかったようで、何時になく熱いステージになりました。三人のセッションを楽しみにしていますという方が何人かいらして、とても嬉しかったです。




2011年4月24日日曜日

Happy Easter!

主のご復活おめでとうございます!
気持ちを新たにまた一年頑張ります!



2011年3月3日木曜日

渋谷の夜



 昨夜の多作ライブにお越しいただいたみなさまありがとうございました。3月3日のひなまつりということで女性アーティスト限定ライブということだったようなのですが、髭面のおっちゃんが一人紛れ込んでしまいました。

 渋谷は人が多くて苦手です。スケジュール帳を見返してみたら渋谷でライブをやるのは三年半ぶりでした。行くのも昨年の春に「旅芸人の記録」を映画館に観に行って以来一年ぶり。それでも多作のある宮益坂の辺りはまだ落ち着いていてましな方ですね。

岡本太郎さんの壁画「明日の神話」をバックにパチリ。



シフォンケーキを焼く



 昨年末からシフォンケーキ作りにはまっています。

 はじめのうちはレシピサイトなどを参考に焼いていたのですが、ある日『まいにち食べたい“ごはんのような”シフォンケーキの本』という本に出会いました。

 本の著者、なかしましほさんの作るお菓子は素朴で懐かしいおやつのようなお菓子。バターの代わりに菜種油をつかったり、砂糖も、きび砂糖や、てんさい糖を使います。
早速材料を揃え、なかしまさんのレシピでシフォンを焼いてみたのですが失敗。何度も再挑戦を繰り返すものの失敗を繰り返すのみでした。

 そんな折、なかしまさんがシフォンケーキ教室が行われるととのお知らせ。
もう先々週のことになりますが、JR国立駅の近くにあるfoodmoodと名付けられた、
なかしまのさんのアトリエへシフォンケーキ作りを習いに行って来ました。
料理教室なんて行ったこともなく、きっと女性の参加者ばかりだろうと、少し躊躇しましたが参加して良かったです。
やはり実際に目の前で実演を見るというのは大きい。楽器の演奏でも同じ様な体験をしたことが何度もあります。


 それから毎日のようにシフォンを焼き続けました。しかし成功しない。
底上げ、腰折れ、穴ぼこだらけで形をなさないもの…そんなことの繰り返し。教えていただいたなかしまさんにも申し訳ない気持ち。

 ぼくが失敗を繰り返していたのはレシピ本の一番最初に載っている「豆乳の "もっちり” シフォン」。まずはこれをマスターしたいという気持ちが強かったのですが、気分を変えて違うものに挑戦してみようと「バナナの "どっしり" シフォン」を焼いてみたところ一筋の光明が!それからはコツをつかんだようで、まずまずのものが焼けています。トップの画像は今日焼いたバナナシフォン。



 なかしまさんの焼いた豆乳シフォンとチョコレートシフォン。それはそれは、もっちり、しっとりなのです。少しでもここにたどり着きたい。

 
ぼくの焼いた豆乳シフォン。



2011年1月16日日曜日

パンを焼く



 遅ればせながら本年もどうぞよろしくお願いします!

 昨年の暮れ頃からシフォンケーキ作りにはまってます。メレンゲと生地との混ぜ具合で上手く焼けたり失敗したり、なかなか奥深くて楽しいです。クリスマスにはブッシュドノエルまで焼いてしまいました。

 そして最近になってパンも焼き始めました。我が家のオーブンレンジは小さくて凝ったのは無理なのでシンプルなパンを焼いています。