2014年10月7日火曜日

渋谷の十字路で待ってるぜ!



 今度の日曜日は渋谷のクロスロードでライブ。久しぶりにシバさんとの共演、楽しみです。お昼からのスタートなのでお間違えなく!

10/12(日)渋谷 Crossroads
東京都渋谷区松濤1-29-3 深町ビル2F
PHONE:03(3770)0672
14:00 start
ライブチャージ:¥2500 + 要オーダー
共演: 末森英機・シバ


2014年8月26日火曜日

久しぶりに渋谷でライブ!




 今度の日曜日は久しぶりに渋谷でライブ。調べてみると3年半ぶり、その前も3年半でした。ぼくは渋谷の人ごみが苦手なので滅多に行かないのですが、3年前のライブ以降行った記憶がないので、渋谷に出かけるのも3年半ぶりってことか。

 今回のライブは詩人の末森英機さんが企画して下さった。英機さんは隣町に住んでおられるので時々ばったりとお会いすることがある。今度のライブもそんなばったりから話が進んだ。突拍子もない英機さんの行動や発言は、いつもぼくらを驚かせるけれど、たくさんの友人に声をかけてコンサートを企画したり、CDをつくってしまったり、フットワークがとても軽い。もうずっと被災地に行ってボランティア活動を続けている。日曜日のライブでも歌って下さいます。被災地の話や新しく制作したCDの話もして下さることでしょう。

 ぼくはアコーディオンのくみことデュオで演奏します。いつもと違ってお昼の2時からのライブなのでお間違えのありませんように。滅多に行かない渋谷でみなさんにお会いできるのを楽しみにしています!


8/31(日)渋谷 Crossroads
東京都渋谷区松濤1-29-3 深町ビル2F
PHONE:03(3770)0672
14:00 start
ライブチャージ:¥2000 + 要オーダー
O.A 末森英機




2014年5月30日金曜日

湯上がりポカポカ気分

 久しぶりの旅でした。そろそろやりますなんて言いながら、もう5年も経っていた。その間のぼくは、ある女性シンガーのサポートをやっていて、そちらがメインの活動になっていた。学ばなければいけないことが膨大にあって、自分の活動は置いてけぼりになった。



 昨年は散々な一年で、全てのことが、おじゃんになってしまった。こんなことをやっていてはダメになってしまうと、全てのことを清算することにした。女性シンガーのサポートも辞めた。そうすると不思議なことに、とたんに風通しが良くなった。新しい仲間もどんどん増えていった。そんな新しい出会いが切っ掛けで、今回の旅が決まっていった。



 5年もやっていないのだから新人みたいなもんだ。旅に出る前はとても不安な気持ちでいた。初めてのお店もあったし、特に9年ぶりに決まった一乗寺の「のん」にはどんな顔をして行けばいいのだろうとドキドキしていた。
喉の調子も悪かった。もう何年も治らない喉が、この春は絶不調で咳が止まらない。最後まで持つんだろうかと心配だった。



 でも始まってしまえば、何の心配もいらなかった。どこの会場もお客さんの熱気が感じられ、こちらのテンションもどんどん上がっていく。あんな気持ちになったのは久しぶりだ。溜まりに溜まった垢を根こそぎ剥がし落とすような気分だった。毎日がまるで湯上がりのような心地よさ。ポカポカしてた。ツアー中どんどん元気になっていくのが分かった。



 本当にドキドキしながら「のん」のドアを開けると9年前と何も変わらない温かな笑顔で迎えてくれるお父さんとお母さんの姿があった、嬉しかった。
 あれは何年前になるんだろうか、この店で一人の男と出会った。その名は三上ゆうへい。彼はその頃、京都を中心に関西で歌い始めていた。ぼくは彼のことをいっぺんに気に入って、応援したくなったのだった。
 それからというもの、彼をひっぱり回してあちこちへ一緒に旅をした。京都、東京を往復して彼の歌を録音した。そして一枚のCDが完成した。ぼくと同じように三上ゆうへいを応援していた、ひがしのひとしさんからは「ほんまにありがとう」と熱い接吻をいただいた。あの夜、ひがしのさん、ゆうへい、ぼくの3人は、のんの近所にあった居酒屋で何時間も何時間も熱く語り合ったのだった。ゆうへいは「くやしい…」と言って泣いた。ぼくは、あぁ…良かったなあと思ったのだが、そうではなかった。彼とはそれっきりになった。
その後の彼は病に倒れ、闘病生活を続け、2011年5月1日に白血病で亡くなった。最後の最後まで和解する事はできなかった。



 昨年の秋頃、くみこの大学の後輩で、現在は京都で農業をやっている林努さんから「最近、三上ゆうへい君の『踊り子』を歌っています。いつか一緒に演奏したいです」とCDが送られてきた。ぼくにとっては痛い思い出の歌だ。それで事情を知らない努さんに、ゆうへいとのことを伝えた。
この歌と再び向かい合うにはしばらく時間が必要だった。そしてしばらく経ったある日、よければ「のん」で一緒にライブをやりませんかと努さんに伝えたのでした。この歌をやるなら他の場所は考えられなかった。



 ライブ当日になっても、正直「踊り子」を演奏したい気持ちになれなかった。でもやりましょうと言ったのは自分だ、後戻りはできないと、ライブの最後にこの曲を演奏することにした。ぼくは目をつぶり、努さんの三線の音だけに集中してギターを弾いた。ぼくらにしか演奏できない「踊り子」になった。やっと、ゆうへいとお別れできたような気がした。



 4日間の旅を終え、昨夜東京へと戻ってきた。お世話になったみなさんへ挨拶をとパソコンを立ち上げると、ひがしのひとしさんの訃報の知らせ。
ひがしのさん、ゆうへいくんをよろしくお願いします!渡さんにもよろしく!



2014年2月23日日曜日

Fiesta de Mayo



 まだ少し先の話ですが、5月に飛騨高山へ歌いに行きます。
高山へは5年ぶりです。

 いつもお世話になっている高山在住のバンド「サイバイズ」の、かつこさんがチラシを作ってくれました。かつこさんはOAで参加してくれます。
出演者の紹介ページもあり!


2013年3月2日土曜日

水曜日はMANDA-LA2へGO!




るーずぱんてぃ主催イベント「愛すべき馬鹿に乾杯!」にお招き頂きました。
大好きな村上律さんとの共演も楽しみ!皆様どうぞお越し下さい!


3/6(水)吉祥寺 MANDA-LA2
武蔵野市吉祥寺南町 2-8-6 第18通南ビル地下
PHONE:0422(42)1579
19:30 start
ライブチャージ:¥2000 + 要オーダー
共演:るーずぱんてぃ村上律、ニヒルブラザーズ、多田葉子




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2012年12月6日木曜日

チープ・チーパーズのこと 2



 チーパーズを解散した頃のぼくはもっとRockしたくなっていた。新バンドの結成を画策して、ちくわぶや若林マリ子のバックサポートをやっていたドラム、パーカッション奏者の熊谷太輔、るーずぱんてぃのドラマー柿沼朋音、ハニワニバイシクルのギター、ボーカル大沼道魚たちとセッションを重ねたが、結局は形にならないまま頓挫してしまった。

 ある日ふと箪笥の肥やしになっていたナショナルのリゾネーター・ギターを弾いてみた。これだ!と思った。今までのギターの弾き方ではうまくいかなかったので、最初からやり直す必要があった。でも決してこれを手放すもんかと必死に練習を重ねた。いつの間にかナショナルは、ぼくの身体の一部のようになっていた。これでやっとチーパーズを卒業することが出来たと思った。

 ちょうどその頃だ、京都から出てきた藤井貴子に出会った。彼女の音楽に対する真摯な姿勢に感銘を受けたぼくは一緒に演奏することにした。彼女との演奏は高田渡とやれなかったこと、やり残したことをやらせて貰ってるような気がしているんです。今のぼくにとって大切な活動のひとつ。こんな風につらつらと書き連ねていると、いつまで経っても話が終らないな……その3につづくのだけは避けなければ。

 今年の5月5日に、長年歌わせてもらっているお店、稲生座でライブがあった。最初はベースの松枝、アコーディオンのくみこ、そしてぼくの3人でやるつもりだったのだが、ハーモニカの浅見安二郎さん、ギターの杉原も飛び入り参加してくれて、新旧チーパーズのメンバーが揃ってしまった。楽しいライブだった。
 その日のうちに、杉原からまたやろうよと提案があったが、ぼくは乗り気ではなかった。チーパーズを解散してから、どれだけ苦労してここまでやって来たと思ってるんだという思いがあった。また何年か経ったらねとぼくは答えたのだった。

 でも、その子供の日のライブは杉原の心の何かを動かしたんだな。彼はひとりで会場を見つけ、6年ぶりとなるチープ・チーパーズのライブを決めてきちゃった。その熱意に絆されたぼくはOKしてしまったのですよ。何より杉原が動いてくれたことが嬉しかった。だってブッキングも集客もギャラの交渉も、いつもひとりぼっちでやって来たからね。
 8月26日、千歳烏山のTUBOにて、そのチープ・チーパーズ・リユニオン・ライブは行われた。リユニオン・メンバーにはドラムの朋音ちゃんが参加、ゲストで貴子さんも出演してくれた。そしてなんと今度は貴子さんの心の何かを動かしたんだな。彼女はチーパーズをバックに歌いたいと言い出した。

 ぼくにはチーパーズをキャラメル・ママやザ・ラストショウ、センチメンタル・シティ・ロマンスのように、ソロのシンガーのバックサポートやプロデュース的なことをやれるような集団にしたいという思いがあった。実際、浅見安二郎、きよみとくみこ、須藤もん、寺田町、三上ゆうへいといったシンガーのサポートを務めて来た。だから実はチーパーズにはそういった側面もあるのです。

 今までの貴子さんは、いくらぼくが他のメンバーを入れてみないかと提案しても拒否し続けていた。だから今回は良いチャンスだなと思って、これまたOKしてしまったのですよ。藤井貴子 with チープ・チーパーズ・ライブは下記の日程にて行われることになりました。


●2012年12月13日(木)高円寺・稲生座

 杉並区高円寺北2-38-16 サニーマンション2F

 tel/03-3336-4480

 start/20:00

 charge/¥1500 + drink order


 藤井貴子 with Cheap Cheapers
(あおやぎとしひろ(g., mandlin, bouzouki)、杉原穂高(g.)、松枝秀生(b)、くみこ(acc)、柿沼朋音(dr.))

 共演:秋元圭一




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 これにてチープ・チーパーズはしばらく見納め。ぼくはチーパーズを拠点にして欲しくないのですよ。それぞれの場所でみんながやって来た事を持ち帰る場所にして欲しい。杉やんが前に話してくれた、新しいバンドもまだ観てないしね。杉やんが歌う「歩いて歩いて」をぼくは聴きたいのです。


2012年12月5日水曜日

チープ・チーパーズのこと 1





 その前身はAOYAGI楽団というバンドだった。ぼくが初めて結成したバンド。
メンバーは、ぼくが弾き語りをやっていた頃からよく手伝ってもらっていたハーモニカの浅見安二郎、ベースは多摩美の学生だった鶴田伸介。現在の彼は建築家として活躍している。そしてアコーディオンのくみことぼくの4人。

 伸介が大学を卒業(したんだっけ?)することになってバンドから脱退。そこでシバのバックでベースを弾いていた松枝秀生に声をかけて新しくバンドを結成することにした。確か鈴木こうも誘ったんだったかな。彼はぼくのギター教室の生徒で、当時まだ高校生だった。

 バンド名は、コミック作家のロバート・クラムが仲間達と組んでいたバンド、チープ・スーツ・セレナーダーズにあやかってチープ・チーパーズと名付けた。結成時のメンバーは浅見、松枝、鈴木、くみこ、ぼくの5人。1991年暮れのことだった。
 高田渡のバックサポートとチーパーズの活動で結構忙しかったな。自分のバンドでは全く収入にならなかったから(今現在もだけれど…)渡さんの仕事は有り難かった。
 しばらくしてベースの松枝が失踪。鈴木が進学で脱退。この頃ぼくはひどい鬱状態に陥り一年間バンド活動を休んだ。
こうして書いてて思い出したんだけど、ぼくの鬱はここから始まったんだなあ。

 そんな頃、大阪で知り合った飯沼哲がアメリカへギター製作を習いに行くという。無性にぼくもアメリカへ行きたくなって冷凍食品工場でバイトをして金を貯め、半月間アメリカ南部の旅に出た。
 帰国後やっと吹っ切れたぼくは音楽活動を再開。ギター製作をやるなら、ライブ現場を経験した方がいいよと、
東京へ越してきた飯沼と一緒にあちこち旅をしたのはこの頃。

 その後のチーパーズは、町田のエスニック雑貨屋チチカカで知り合ったパーカッション奏者の熊谷真一、クールスのサックス奏者、佐藤尚之さんに手伝ってもらう予定だったのが予定が合わなくなってしまい急遽紹介してもらった広瀬正道、ぼくらのライブを観に来てくれてとても感動したと言ってメンバーに加わったピアノの清野真理子(後に彼女は飯沼と結婚することになる)、進学が決まった鈴木が復帰し、鈴木の音楽仲間でブルーズ好きのお坊さん、寺谷英樹もメンバーに加わった。こんな風に
入れ替わり立ち代わり、メンバーが変わる度にサウンドも大きく変化した。
 寺谷はバンバンバザールのメンバーと知り合いだそうで、吉祥寺でストリートをやっていたバンバンの噂はぼくも聞いていた。そこで紹介してもらってジョイント・ライブを企画した。
その頃、
バンバンのボーカル、福島康之は、ジャイブやジャグ・バンドの枠で括られるのに嫌気がさしていたようで、解散を考えていたらしい。ベースの南一夫にこれからどうするの?と聞くと特に決まっていないと言うのでチーパーズに参加してもらうことにした。
 南が加わったことで、ジャグ・バンドや古いストリングス・バンドのようなサウンドが演れるようになり、ここで
チープ・スーツ・セレナーダーズのカバーを演奏して初心を果たす事ができたのでした。
そして数ヶ月が経ち、やっとバンドらしくなってきたなと思っていたら、バンバン再稼働ということになり、南はバンバンに復帰。同じ頃、寺谷脱退。鈴木はフランスへ留学。

 ある日、電車に乗っていた時だった。電車がどこかの駅に停車して、どこの駅だろうかと窓の外に目をやると、そこには失踪したはずのベーシスト松枝がいた。また一緒にやろうよと声をかけて松枝が復帰することになった。
 それからバンバンのギター奏者の杉原穂高がバンドを抜けるというので、良かったらうちでやらない?と誘って杉原もチーパーズへ。バンバンの初代メンバーのピアノ奏者、花野誉子も参加してくれた。
しばらくして、
クレンショークラブ・バンドというジャンプ・ブルースを演奏するバンドでドラムを叩いていた服部恒郎が加入。服部さんのお陰でやっとチーパーズは一人前のバンドになれたと今でも感謝している。一番充実していた時代。

 花野、服部が脱退。しばらく松枝、杉原、くみこ、あおやぎ、4人での活動が続く。しかし、杉原の仕事が忙しくなり、杉原不参加のライブが増えていった。杉原がいないのだからチーパーズと名乗るのは辞めようと「ブースカーズ」「青柳精肉店」など変名のライブ活動を続けた。

 2005年10月、杉原脱退。ぼくはチーパーズの活動を休止することにした。

 2006年に入って、せめて音だけでも残しておきたいという思いからチーパーズのレコーディングを始める。

 9月、ミニアルバム「Walkin' Walkin'」をリリース。
 11月、高円寺の稲生座、谷保のかけこみ亭にて発売記念ライブ。

 かけこみ亭でのライブを最後にチーパーズ解散。ライブ終演後、ぼくはメンバーの誰とも挨拶をしないまま別れた。(つづく)


 写真はCD「Walkin' Walkin'」ジャケットの別バージョン。